情報の原液はほぼ論文だと思う

最近、本を読んでいて、人が発信する情報は根本的には他人の知識を借りていることが多いと感じている。YouTubeでビジネスの話をする人なら、ビジネス書や実体験で学んだことを圧縮して発信する。美容でも同じだと思う。知的好奇心が強い人は本を読み、そこで学んだものを発信したり共有したりする。それを影響力のある人が口にして、世間へ広げる。知識や最新情報は、そうやって連鎖している。

本が原液だと思っていた

以前は、連鎖の根本をたどれば本に行き着くと思っていた。本が原液で、それを飲んだ人が少しずつ薄めながら、世間へ浸透させていくような感覚だった。でも、ちゃんとした本ほど引用を使っている。本も意外とキュレーションに近く、寄せ集めやまとめ知識になっているのではないかと思い始めた。実体験ベースの本も、ナレッジやハウトゥー系の本も、実用書も、最近いろいろ読んでいると、ここにも同じ話がある、別の本にも出てくる、という共通点が多い。本もかなり薄められていると感じた。

原液に近いのは論文だった

本は濃いカルピスではある。めちゃくちゃ濃いものもある。でも、原液かというと原液ではない。では何が原液なのかと考えると、ほぼ論文だと思った。研究者たちが書き、PDFなどにまとめて公開しているものが、一次の部分に最も近い。論文は本より短いのに、内容は濃い。もちろん本も読むけど、ハウトゥーや知識を得るための本なら、論文を読んだ方がいいと感じている。今後は少し論文を攻めていきたい。

動画は時間に対する情報量が少ない

そう考えるきっかけの一つは、YouTube動画をAIで文字起こししたことだった。二、三十分の動画を文字にすると、キーワードとしての情報量は意外と少なく、一ページほどに収まることがある。動画には手の動き、背景、世界観のような情報も入ってくる。それでも、言葉やキーワードとして受け取る情報だけを見ると、時間に対して少ない。本の一ページなら五分以内で読めるのに、二、三十分の動画には二、三十分かかる。四、五倍ほど差があるなら、キーワードを得る手段として動画はコスパが悪いと思った。

情報は薄まりながら広がる

本の方が動画より情報密度は高い。ただ、本にも長く薄められている部分がある。連鎖として見ると、原液に近い情報が論文から出て、それを薄めたものが本になり、本をさらに薄めたものが動画やSNSの発信になる。それを著名人が発信し、世間へ伝わる時にはさらに薄められている。薄まりながら広がるほどタイムラグも生まれる。情報の伝達をたどり、ソースや一次の部分をつかむことは、自分の時間を大切にすることでもある。コスパやタイパで見ても、それが一番速くて理にかなっていると思う。

AIで自分向けに薄める

今は、誰かが論文を薄めて本にしたものを、毎回最初から読まなくてもいい。論文をAIに渡し、自分が理解できる濃さへ薄めることもできる。だったら、ハウトゥーや知識のインプットは、最初から論文を見た方がいい。論文だけでもいいのではないかと、最近は感じている。

当分は論文から入れる

本もこれから読む。でも、知識系の情報はできるだけ一次の部分をつかみ、必要ならAIで自分向けに薄める。当分、情報のインプットはこの形でやっていこうと思っている。