結局、人間は時代が変わっても同じことを繰り返すという考えにとどまり、死への覚悟や行動パターンについて明確な答えは得られず、未解決のままである。
葉隠入門が示す死への覚悟と人間の繰り返し
三冊の本を手に入れた経緯と読書計画
今日は三島由紀夫の『葉隠入門』と『対象喪失』と『ファクトフルネス』の三冊を買ってきた。三島の本は、ポポポという配信者のおじさんたちが薦めてくれたことが縁で、メモに残っていたやつだけを選んだ。論理と集合の話の本は店に無くて買えなかったが、他の二冊は直近で読む必要があると感じている。さらに釈迦についても学ばなければならず、やることが多いが、忙しさが充実感につながっていると自覚している。
葉隠入門から見た死と武士道の価値観
『葉隠入門』は今日20〜30ページほど読んだが、三島のキャラが垣間見え、彼が葉隠を肌身離さず持っていたことから、思想の根本を三島なりに解説していると感じた。要するに「死ぬ時は死ね」という男の死への執着が示され、切腹のように自ら選ぶ死が自然死よりかっこいいという価値観が浮かび上がった。現代人は死に怯えているが、実際に自分で死を選べるかと問われれば多くはできないと考える。だから日常的に死を考えることが生の喜びを強め、精神的な問題の緩和にもつながるという考えに共感した。
歴史を通じた人間の行動パターンの不変性
葉隠入門の読後に「やっぱり死だな」と感じたが、同時に時代が変わっても人はやるべきことはやり、やらない人はやらないという構図が変わらないことに気付いた。武士の時代でも甘える者や死を恐れる者は普通に存在し、昭和の男が強いイメージで語られる一方で、当時も女性化のような現象があったと聞く。今の時代も同様の構図が見られ、人間は時代が変わっても同じことを繰り返すだけなのではないかという思いが強まった。
同じ構図の続く現代
それでも、同じ構図が続くことにどこか哀しさと同時に不思議さを覚え、今後も自分の中で問い続けていく必要があると感じている。