歴史に残る事象は社会全体を大きく変えるものは少なく、ニッチな熱狂が中心であるという認識にとどまっている。
歴史はニッチな熱狂の記録
歴史はニッチな現象の記録
俺は歴史を振り返ると、戦国時代の関ヶ原の戦いや織田信長・豊臣秀吉といった有名な出来事が目立つが、実際の戦闘は10万や数十万といった規模で、全人口1億人に対しては数%に過ぎないと感じる。つまり、記録に残るのは全体のごく一部であり、ニッチな領域で熱狂した事象が歴史として残っているだけだ。
語り継がれる過程での誇張
歴史的事象は伝言ゲームのように人を経るごとに形が変わり、盛り上がりが増幅されると考える。営業のティーアップや子供時代の先輩伝説、空手会館で見た限定的な空手史、さらには現在のAI界隈の熱狂も同様で、実際に使いこなす人は少数でありながら大衆に誇張されたイメージが広がっている。
変化の実感と限界
建築技術や新幹線、飛行機、車といった移動手段は確かに変化したが、歴史に記録される多くは物語として書かれたもので、社会全体を根本的に変えるほどのインパクトは少ないと感じる。結局、ニッチな領域で熱狂した出来事が語り継がれ、歴史として残るだけで、広範な変化は限定的であるという認識に至った。
AI熱狂と歴史の類似点
AIが今盛り上がっている様子は、過去の歴史的出来事が語り継がれる過程と同様に、実際の利用者は少数でありながら大衆に誇張されたイメージが拡散しているという点で、歴史の記録と似た構造を持っていると改めて感じた。