文章市場は低需要と供給過多で苦しい

文章媒体で数字を取る近道は見えているが、それを選ぶと自分が嫌悪してきた噂話や他人利用に近づく。だからこそ、本質的な価値を伸ばしたいのに、市場構造と自分の現状が噛み合わず苛立っている。

低需要と供給過多の市場

文章市場は、そもそも需要が大きくないと感じている。文章を読める人より、読まない人、読めない人の方が多い時代に見える。その一方で、Xやnoteは参入障壁が極端に低い。動画よりも制作コストが低く、タイピングだけで誰でも投稿できる。需要が少ないのに供給だけが増えるから、埋もれやすい市場になっている。

煽りで数字を取る近道への嫌悪

Xで数字を取る道筋はある程度わかる。他人の悪口を言う、喧嘩をする、揉め事を作る。喧嘩にはギャラリーが集まるから、一時的には伸びる。過去に自分もそれをやって、実際に数字は取れた。ただ、それは自分の実力ではなく、他人の名前や影響力を借りているだけだと思う。

噂話をされた経験と価値の線引き

自分が噂話を嫌うのは、地元で一度それを食らった経験があるからだ。東京で死に物狂いで頑張って戻った時、やってもいないことが悪い噂として回っていた。それを知ってから、他人に勝手な話をされることにも、自分がそれをやることにも強い嫌悪がある。だから、数字を取れるとしても、そのやり方を本質的な価値とは見られない。

本質と需要が噛み合わない苛立ち

自分の価値を上げて、本質的に伸ばす必要があると思っている。ただ、本質と社会の需要が合っていない感覚もある。需要に合わせれば、みんなが求めるものに寄せることになり、結局は近道に近づいてしまう。自分に魅力がないのか、魅力を引き出せていないのかも含めて、考えが散らかっている。

アルゴリズムと文章媒体への不信

Xでは、いいコンテンツを作っても伸びるとは限らない。フォロワーに出して初速を見る構造なら、フォロワーが少ない側より、多い側が作った方が伸びやすい。そうなると内容の良し悪しだけでは勝負できない。情弱の心理を利用する方が早いのかもしれないが、それは長続きせず、真似もされ、賞味期限も短い。

まだ突破口が見えない

諦めるのは簡単だが、突破口が見つからない。金稼ぎに寄せるのも違うし、AIに任せても自分との差やAIっぽさが残る。自分の実力の問題も認めるしかないが、文章市場、プラットフォーム、自分の立ち位置の全部に苛立ちが残っている。