家族の共依存は自立不全から崩れる

この本で一番残ったのは、母親だけが悪い、娘だけが悪いという話ではなく、二人とも自分の物語から降りられなかったことだ。親は娘への期待に依存し、娘は期待に応える役割に依存していた。どちらも自立できないまま同じ場所に留まった結果、関係そのものが逃げ場を失ったように見えた。

期待への依存

母親は娘を医学部に入れたい、周囲から恥ずかしく見られたくない、娘にはこうなってほしいという期待を強く持っていた。そこには娘への愛情もあったとは思うが、最終的には娘本人を見るより、自分が望む娘像を守る方向へ傾いていた。娘も本心とは違う姿を演じ、母親が望む答えを返し続ける。期待する側と応える側が固定されると、表面上は親子の形を保っていても、内側では互いに自分の話しかしていない状態になる。

離れられない危険

娘は何度も母親から離れようとしていたのに、結局戻ってしまう。母親も娘を手放せない。ここに一番強い共依存を感じた。共依存は「あなたがいないと生きられない」という甘い依存だけではなく、期待をかける側と期待に応える側が互いの役割から降りられない状態でも起きる。嫌なのに離れられない関係は、善悪の前にかなり危険な構造だと思う。

逃げ場の有無

家族関係で逃げ場があるかどうかは大きい。自分の場合は母親と合わない時期があっても、家を出て物理的に離れたことで関係が守られたし、祖母のような別の受け皿もあった。この本の娘にも父親という逃げ場はあったが、家庭の中心からは遠く、母親との密室性を壊すほどの支えにはなっていなかったように見える。閉じた二者関係の中で九年近く耐え続けたら、壊れていくのは特別な家庭だけの話ではない。

罪悪感の向き

読んでいて引っかかったのは、父親や周囲への申し訳なさは出てくるのに、母親本人への罪悪感が薄く見えたことだ。犯行に至るまでの自分の苦しみや過去は細かく見つめられているのに、実際に手をかけた相手への感情は驚くほどあっさりしている。相手を自分の物語の中で悪者として固定してしまうと、そこで感情移入が切れるのかもしれない。この断絶がかなり怖かった。

親子双方の自立

子供はどこかで親から自立し、親も子供への期待から自立しないといけない。多くの家庭では反抗期や進学、就職、一人暮らしを通じて距離ができる。その距離が親子関係を壊すのではなく、むしろ守ることがある。逆に、親も子も同じ場所に留まり、相手の役割に依存し続けると、介護や同居でも似た構造が出ると思う。家族だから大丈夫ではなく、家族だからこそ距離を作らないと危ない場面がある。

反面教師として読む

『母という呪縛、娘という牢獄』は、いい本というより、読む側にかなり強い痛みを残す本だった。家族関係で悩んでいる人、親と住んでいる人、介護で苦しんでいる人、子供に期待をかけている人は、自分の家にも似た構造がないかを見る反面教師として読んだ方がいい。家族の中で自立できないまま誰かに依存すると、愛情も期待も簡単に呪縛へ変わると思う。自分はこの距離感を考える時、『嫌われる勇気』にもかなり助けられた。