プロレスは、誰が見ても演技だと分かっているのに、その前提を超えて没入できるコンテンツだった。勝敗そのものより、ヒーローと悪役、表情、衣装、声、会場の反応が重なって、観客が物語の中に入っていく。地方の小さな会場でもこれだけ成立するなら、何十年も続く理由はかなり強いと思う。
プロレスは物語を身体化する
子供が最初に反応していた
会場に入る前から、子供が多いことが印象に残った。大人はプロレス好きのファン、関係者、地元の応援者が中心に見えたが、子供たちは最初から場に吸い込まれていた。自分の中では、子供に受けるコンテンツは本当に強いコンテンツだという仮説がある。子供は論理で熱狂しない。直感や感性で反応する。その意味で、プロレスは始まる前から強いコンテンツに見えていた。
演技だと分かっていて没入する
試合が始まると、一番熱狂していたのはやはり子供だった。「行け」「やれ」「負けるな」と声が枯れるまで叫んでいた。大人は拍手したり笑ったりする程度の人も多かったが、一人で来ていた隣の女性はかなり没入していた。プロレスで不思議だったのは、誰が見ても演技だと分かっているのに、そこを気にせず入り込めることだ。競技というより、ドラマや映画、ライブに近い。WWEが成立する理由も、何十年も続く理由も少し分かった。
女子プロレスの完成度
今回一番印象に残ったのは女子プロレスだった。男子は迫力と熱量が強いが、女子はエンタメとして一段上に見えた。特に大きかったのは顔芸だ。男子はマスクが多い一方、女子は顔を出していて、表情の使い方がかなり強い。誇張された表情、声の通り方、衣装の映え、色の強さ、構成の分かりやすさが重なって、見ていて飽きなかった。視覚的にも物語的にも、かなり完成度が高かった。
物語に身体で入る装置
男子プロレスは、正義と悪、ヒーローと悪役の構造がはっきりしていた。メインではマイクパフォーマンスや過去からの流れがあり、観客はそのストーリーに入っていた。周りでは涙を流している人もいて、隣の女性も泣いていた。自分はそこまで没入できず、なぜ泣いているのかと思った。同時に、そこまで入り込めない自分の感性に少し恥ずかしさもあった。プロレスは情報世界の物語を、会場の声と身体を通じて物理世界に接続するゲートウェイになっていると思う。
続いていることの証明
今回見た地方のプロレスは十三年続いていた。会社でも十年続けるのは難しい中で、ローカルな規模のプロレスが十三年続いているのは強い証明だと思う。会場も満席で、自由席は取れなかった。席数は少なくとも百以上、体感では二百から三百ほどあった。地方のプロレスでこのレベルなら、新日本プロレスやWWEはさらに上にあるはずだ。実際に自分の目で見て確かめたいと思った。
本物に触れる必要
形は時代で変わっても、人間が物語に入り込みたい欲求は変わらない。プロレスはその欲求をかなり直接的に扱っている。地方の会場で子供が叫び、大人が涙を流し、最後に感動的な展開で終わる。その構造を目の前で見られたのはかなり良い刺激だった。やはり一流や本物には触れていかないといけない。プロレスはすごい。