今回の美術館で残ったのは、作品単体よりも空間全体を通して芸術を体験する感覚だった。古民家、庭、茶の間、鳥の象徴、クラシック音楽、外の景色がそれぞれ独立しているのではなく、一つの場所としてまとまっていた。分かったかどうかより、抽象度の高いものに身体ごと触れたこと自体に価値があったと思う。
分からない芸術にも触れておく
古民家全体が作品になっていた
入口には見たことがないようなシーサーがあり、庭にも作品が置かれていた。古民家の玄関を開けると、家全体にアートが飾られていて、建物も背景も景色も含めて一つの美術館になっていた。作品だけを鑑賞するというより、その空間に入ること自体が作品に触れる行為になっていた。こういう見せ方はかなり斬新で面白い。
茶の間と鳥の象徴
家の中で特に印象に残ったのは茶の間だった。そこだけ強くこだわっているように見えて、茶道や茶の間には日本人として一度通った方がいい歴史的な何かがあるのかもしれないと思った。作品には鳥がよく描かれていて、その作家にとって鳥が美しさや特別なものの象徴になっているようにも見えた。自分の中では、茶の間と鳥がこの場所の記憶を強く固定している。
音響から生活の選択につながる
グランドピアノが置かれた空間では、ピアノは鳴っていないのにクラシック音楽がずっと流れていた。その音がかなり良かった。音がきれいというより、空間全体に本当にピアノを弾いているように広がっていた。縦長のデンマーク製らしいスピーカーで、以前ビートルズの展示会でも同じものを見た記憶がある。十万から二十万くらいするなら、家に置くスピーカーとして買う候補に入ると思った。
タイへ行く流れ
古民家の中に置かれていた雑誌で、ホテルや旅行の写真を見ていた時にタイという文字が目に入った。最近、自分の中でタイという言葉が何度も出てくる。こういう偶然が重なるなら、一度は行った方がいい気がしている。五月は東京に行く予定があるが、それ以降はまだ決まっていない。海外にもあまり行っていないから、パスポートを取って夏くらいにタイへ行くのはかなりありだと思う。
アートと芸術は違う
今回考えたのは、アートと芸術はかなり別物だということだ。アートは入口が広く、素人でも直感的に楽しめるし、プロでも深く見られる。一方で芸術は、伝統や歴史、表現のルール、序列の中で技術を磨く感じがある。武道や職人に近い。東京の大きい国立系美術館は後者に寄っていて、自分の教養では理解しきれないことが多い。森美術館のような現代アートは、直感的に入ってきて記憶に残る。自分は今のところアートの方が好きだ。
抽象度の高いものに触れる
最近よく美術館へ行くようにしているのは、抽象度の高いものに触れたいからだ。細かい情報は時間が経つと思い出しにくいが、抽象的な体験は後から急に残ってくることがある。森美術館も最初はよく分からなかったのに、一ヶ月後くらいに急につながった感覚があった。芸術体験はその場で分からなくてもいい。分からないまま触れておくことで、後から別の情報と結びつく。
分からなくても行く
美術館は意外といろんな場所にある。刺激が足りない時、新しい情報を取り入れたい時、普段と違うことをしたい時にはかなりいい。同じルーティンだけだと視野が狭くなる。だからアートや芸術には主体的に触れていく。分からなくてもいい。触れることが大事だと思う。