期待しないことでおもちゃ化を避ける

プロレスの客席で見えたのは、物語に没入する観客の正直さだった。キャラクターの美学や提供者の人生は、観客の欲求から見ると邪魔になることがある。だから期待に応えることを自分の中心に置くと、相手の欲求に合わせて消費される側へ寄っていくと思う。

ガヤはかなり正直だった

ローカルのプロレス団体を見に行った時、熱狂している観客の声がかなり面白かった。「行け」「やれ」「ぶっ潰せ」「負けるな」と叫び、ヒールには卑怯な手を使うなと突っ込む。取り繕いがほとんどなく、物語に入り込んだまま直感で声が出ている感じだった。観客の本音は、整った感想よりもこういうガヤに出るのだと思う。

美学はいらないという本音

特に残ったのは、引退が近いヒーロー的な選手のメインマッチだった。タイトルマッチで負け、次の大会で最後の試合へつなげる構成になっていて、シナリオとしてはかなりできていた。その選手が「これは俺の美学なんで」と語った時、客席から「そんな美学はいらん」という声が飛んだ。かなり本質的な反応だったと思う。

観客は物語を見に来ている

美学や哲学は、キャラクター本人にとっては大事なものだと思う。ただ、観客はそこを見たいとは限らない。観客はその人の人生を受け止めに来ているというより、自分が見たい試合、物語、感情の揺れを求めている。だからキャラクター独自の哲学が前に出ると、観客側からは邪魔に見えることがある。その残酷さを、あの一言がそのまま言語化していた。

提供者の献身はエゴにもなる

提供者側が、消費者を満足させるために自分の人生を捧げるような感覚になると、そこにはミスマッチが起きる。本人は献身のつもりでも、相手はそこまで求めていないことがある。子育ても近い。親にとって子供は大事でも、子供からすれば親のエゴは邪魔になる。親から見ても子供の反抗心は不快になる。お互いに相手を望む形のおもちゃにしたがっている構造がある。

期待は人をおもちゃにする

ペットでも、インフルエンサーでも、似た構造はある。相手の思想や背景より、自分が癒されたい、自分が楽しみたい、自分の欲求を満たしたいという方向に寄る。本人がそう思っていなくても、関係の形としてはおもちゃ的に扱っていることがある。期待する側も、期待される側も、その構造に入ると危ない。人間を人間として見るより、役割や反応を求める対象として見始める。

期待される側は壊れやすい

インフルエンサーが病みやすいのも、この構造が大きいと思う。多くの人の期待を受け続けると、自分の美学や生活より、見られたい役割を演じる圧が強くなる。期待に応えれば応えるほど、消費される量も増える。そこで自分を保てなくなると、精神が壊れていく。観客や消費者は悪意だけで動いているわけではないが、期待の集合体はかなり強い圧になる。

期待しないし応えすぎない

誰かに期待することも、誰かの期待に応えようとしすぎることも、精神を保つ上では危ない。自分が消費者として相手をおもちゃにしたい時もあるし、逆に自分がおもちゃにされる時もある。その構造を前提にした方がいい。誰かの期待に応えない。誰かに期待しない。冷たく見えるかもしれないが、人間を壊さない距離感としてはかなり大事だと思う。