差別、侮辱、噂話、アンチコメントみたいなものは、この社会から一定数なくならないと思う。実社会でも「それはやらない方がいいだろ」と思うことをやる人は必ずいるし、SNSでも同じ構造が表に出ているだけに見える。
アンチコメントは存在を前提に距離を取る
見えない階層が振る舞いに出る
その背景を考えると、結局この社会には見えない階層がある。子供の頃ならスクールカーストみたいなもので、大人になると学歴、肩書き、年収、お金みたいな要素が組み合わさって階層化されていく。その中でも今の社会で一番強いステータス指標は、やっぱりお金だと思う。全員ではないにしても、悪口や差別や侮辱やアンチコメントをする人は、どちらかというと満たされていない側に偏って見える。
長期的にうまくいく人は表に出さない
逆に、本当に長期的にうまくいっている人は、そういうことをあまりしない。少なくとも表には出さない。だから自分も、その側に落ちないようにしないといけない感覚がある。誰かを下げたり、侮辱したり、噂話に寄ったりすることは、瞬間的には気持ちよくても、長期的には自分の階層や状態を表に出してしまう行為にもなる。
正面からぶつかっても意味が薄い相手がいる
目立つ人が誹謗中傷されて、開示請求することがある。腹が立つのは分かる。ただ、長期的に見ると、真正面からぶつかってもあまり意味がないケースも多いと思う。相手は自分が正しいと思ってやっているし、そもそも失うものが少ない人もいる。そこにこちらの正しさをぶつけても、消耗だけが大きくなることがある。
相手にとっての娯楽として理解する
もちろん肯定するわけではない。ただ、ある程度は「その人たちにとっての娯楽なんだ」と理解しておいた方が、精神的には楽になる。構造としてそういう人が存在すると見ておけば、必要以上に飲み込まれなくなる。SNSで病む人が多いのも、全部を真正面から受け止めてしまうからだと思う。ブロックするか、ミュートするか、流すか。自分の精神衛生を優先した方がいい。
存在を前提に自分を設計する
結局重要なのは、そういう人たちは存在するという前提で、自分の振る舞いを設計することだと思う。相手を変えることより、自分がそちら側に落ちないこと、必要以上に反応しないこと、距離を取ることの方が長期的には効く。社会に一定数あるものとして見ておけば、怒りや不快感に飲み込まれずに済む。