制御できる範囲でAIを使う

AIで成果を出せるかどうかは、道具の性能だけではなく、人間側が出力を判断し、修正し、責任を持って制御できるかにかかっている。自分の能力範囲の中でAIを動かせる人はレバレッジを得るが、能力範囲外のことを丸投げする人は、出力の良し悪しすら判断できなくなる。だからまずは制御できる範囲で使い、制御できない範囲は自分が学んで広げるしかない。

AIの差は人間側の差として出る

AIを使う人の間には、かなり大きな差が出ている。複数のモデルを使い分けて、一人で大量のプロダクトを作り、事業として回している人がいる。一方で、AIを学んでいるつもりでスクールに金だけ払って、何も生み出していない人もいる。さらに、AIを使う人間が束になって作業しているのに、一人でAIを使っている人のパフォーマンスにまったく届かないケースもある。ここから見えるのは、AIの成果はAI単体では決まらず、使う人間のレベルにかなり依存するということだと思う。

定義だけで終わると意味がない

「AIは使う人のレベルに依存する」と定義するだけなら、そこで話は止まる。でもそれだけでは抽象的すぎるし、自分が理解した気になって気持ちよくなるだけで終わる。実際には、レベルの高い人ではない層の方が大半だと思う。そこに対して、じゃあどうしたらいいのかというアンサーが必要になる。ここを出せるかどうかが、単なる理解と実装できる理解の差になる。

制御できないことをAIにやらせない

今の自分の答えはかなりシンプルで、「自分が制御できないことはやらない」ということだ。最近読んでいたユヴァル・ノア・ハラリの『NEXUS 情報の人類史』の影響も大きい。情報ネットワークの話を読んでいて、自分が理解していないことをAIにやらせるのは違うという感覚が強くなった。自分の能力以上のことをAIに丸投げすると、出てきたものが本当に良いのか悪いのかを判断できない。

制御できない出力は差別化にもならない

自分が判断できない出力は、たとえ形だけ完成しても強くない。多くの人が同じようにAIへ投げられるなら、それができたこと自体は差別化にならない。レベルの高い人がAIでレバレッジを効かせられるのは、自分の能力範囲の中でAIを使っているからだと思う。自分がレビューできるし、違和感を見つけられるし、修正の方向も出せる。逆に使いこなせない人は、自分の能力範囲外のことをAIにやらせるから制御できなくなる。

バイブコーディングにも制御の問題が出る

例えばAIでバイブコーディングしてシステムを作ったとして、そのシステムが暴走した時に、どこが悪くてどこが良いのかを理解できるのかという問題がある。多分、多くの人はそこで制御できない。動いているように見えるものを作ることと、壊れた時に原因を見て直せることはまったく違う。AIがあるから何でもできるわけではなく、良し悪しや善悪を判断して、「ここはこうして」「ここは違う」とレビューできる範囲で初めて使える。

制御できる範囲を広げていく

結局、まずは制御できる範囲でどんどんやるしかない。制御できないことをやりたいなら、そこには学習期間とレベルアップの段階が必要になる。自分のレベルが上がれば、その下の作業はAIに任せられるようになる。判断軸が無意識レベルまで落ちれば、並列で回せるようにもなる。AIに任せる範囲を増やす前に、自分が制御できる範囲そのものを広げる。この順番を間違えると、AIを使っているつもりで、自分の外側にあるものに振り回される。

AIの前に制御範囲を見極める

AIを使いこなせるかどうかは、まず人間側のレベルに依存している。そのうえで、まだそのレベルに達していないなら、やるべきことは制御できる範囲で使うことだと思う。制御できないことをAIにやらせて、自分の能力以上の出力を得た気になるのは危うい。自分自身もそこは身を引き締めて、AIに何を任せるかより先に、自分がどこまで判断できるのかを見続けたい。