最近、AIを批判する人たちがよく言う「AIは予測マシンにすぎない」という話について考えている。LLMが次にどんな単語が来るかを予測して動いているという意味では、それはその通り。ただ、そこに対して思うのは、そもそも人間だって予測しているじゃないかということ。
予測できないことをやり続ける
人間も予測で生活している
人は基本的に、自分が予測できる範囲で安心して生活している。予測できないものは危険として処理し、遠ざけたり避けたりする。自分にとって読めないものは不快になりやすい。そうやって予測できる範囲に収まっている人は多い。
それでも予測を求めている
ただ、そういう人でも、精神が弱った時には占いに行ったりする。いつ結婚するのか、お金持ちになるのか、今後どうなるのかを聞く。占いも基本的には予測で、統計のようなものとして扱われている。人間は予測できないものを避ける一方で、予測したいという欲求もかなり強いのだと思う。生物的な本能を一旦脇に置くと、思考のレベルでは、人間は予測が好きな生き物なのではないかと感じている。
予測が崩れると感情が動く
そもそも人間の思考自体が予測でできている。笑いもそうで、予測できないことが起こった時に笑いが生まれる。お笑いは裏切りと言われるが、まさに予測が裏切られた瞬間に、一回「は?」となって、その後に笑いがこみ上げる。余白があれば、自分で意味づけして、いろいろな笑いにもなる。ただ、同じ予測の裏切りが不快に転じることもある。怒ることもあるし、逆にプレゼントのように嬉しくなることもある。予測を裏切られた時に、感情が動いている。
予測市場は海外版の占いに見える
最近は海外で予測マーケット、ポリマーケットのようなものが盛り上がっている。最初に見た時は、正直かなり腹が立った。Xで「何かが上場する確率は何パーセント」みたいな見出しを見て、詐欺みたいじゃないかと思った。ただ、冷静に見ると市場は大きく、需要もある。そこで思ったのは、これは海外版の占いなのではないかということ。日本には占い文化が根強い。海外ではスピリチュアルやヨガのようなものは聞くが、占いの代わりに予測市場が需要を取っているように見える。
人間は都合よく予測を扱っている
AIへの批判、占い文化、予測市場、笑い、怒り、生活の安心感を並べて見ると、人間はかなりいい加減だと思った。予測できないものを避けているのに、別のところでは予測を求めている。予測を拒みながら、予測に救われたいとも思っている。その矛盾を見た時に、面白くて笑いが出てきた。都合がいいし、いい加減。ただ、人間はそういうものなのだと思う。
予測できない側に勝ちがある
今は資本主義で、富を持っている方が持っていない方より幸福度は高くなりやすい。資本主義で勝つには、期待値の高い方に行くことが原則になる。富を持つ側は少数派で、貧困側は多数派。競争でも、勝つ側は基本的に少数派になる。そう考えると、予測できないことをやることが、人間同士の競争でも、AIに対しても勝てる部分なのではないかと思う。非合理という言葉より、予測できないことをやるという言い方の方が芯を取っている気がする。AIは多くのデータを学んだ大多数側の存在だからこそ、予測できないことをやり続けることが勝つということなのだと、改めて身に染みた。
根本は単純
AIに勝つ方法や、競争に勝つ方法について、いろいろなことが言われている。でも根本をたどると、多分、予測できないことをやる。ただそれだけなのだと思う。AIに勝つ方法でもあり、人間同士の競争に勝つ方法でもある。いろいろな事象を自分の中のデータと照らし合わせると、そこが本質なのだと感じている。